徹夜して作ったとこ

まあ軽い気持ちで見てくれや

自己投影嫌いの夢アンチが夢者になったわけ

 

当方は現在、男同士の友情を好む夢者(夢絵描き)です。

この一文が理解できる方には以下の文章を読むのは蛇足かもしれませんがお付き合いしていただければ幸いです。
また夢の定義についてもあいまいなままにしています。
夢に対してまったく知識のない方には難しいかもしれません。
タイトルにもあるように自分語りの文章です。

 

めんどくさいのでですます口調はやめます。

 

 


わたしが夢アンチとして活動していたのは、10年以上前の話になる。
なので諸々の記憶があいまいになることを留意しておいてほしい。

 

 

 

 


・『夢アンチ』だったわけ


当時のわたしの夢に対する認識は「名前変換の出来る小説でキャラ×わたし、またはあなた」だった。
分かりやすい形に整えられた自己投影特化型の二次創作で、自己投影=気持ち悪い、恥ずかしいの概念があったわたしには夢が理解できなかった。
羞恥心にもっともらしい理由をつけて

 

「キャラを使って夢主を持ち上げる」

 

「原作にいない存在を入れ込むことで、原作の内容を台無しにする」

 

無理な恋愛描写でキャラ崩壊が激しい」

 

など、原作を尊重していない二次創作として夢を嫌悪していた覚えがある。
嫌いだから積極的にサイト訪問して夢小説を読んだりはしなかった。
2ちゃんねるの夢小説アンチスレの住人でもあった。
大体嫌いな理由は同じことが書かれていたと思う。
興味本位で夢を好むひとたちが集まる「夢主のこんな設定イヤ!」という内容の愚痴スレも覗いていた。
これで「へー夢って気持ち悪いなー」という気持ちも高まったところもあるだろう。

 

余談だが、ここでいう夢者の別称『夢豚』はアンチスレ発祥の蔑称だと記憶している。
いまは夢者が自ら夢豚と名乗り、自虐として使われることも多いが、
腐女子のような婦女子をもじったセンスのある言葉でもないので、正直なところ首をかしげている。
夢を見れない豚はただの豚なのか?


話が脱線した。
そんなこんなで好んで見ていた二次創作は原作以上の関係を付与しない「オールキャラ」ものだった。
中には原作の物語が崩壊するようなものもあったが、
わたしの場合は「原作キャラ同士の関係が破たんしてなければいい」というまあよくある好みの問題だ。
これはわたしの二次創作に対する姿勢の根幹的なものでいまも変わっていない。
BL、GL、NLに対してはそこまで見ないが別に嫌ってはいなかった。

 

とにかく夢が嫌いだった。

 

憎かった。

 

夢をやっている人は原作を大事にしていないとすら感じていた。

 

 

 

 

 

・『夢』に触れたわけ

 

なぜ夢に触れるようになったかというと、
自ら二次創作をするようになったからだと記憶している。
曖昧な言い方になって申し訳ないが、
実際どういうタイミングで夢に触れ始めたかを明確に言及できない。
なので若干想像混じりもある。自分で体験したことなのに想像混じりって。


それまで見るだけだったわたしが、自分の手で原作のキャラたちの物語を作るようになって、二次創作を見る範囲も広くなった。

 

原作にないCPを好むこともあったし、こうだったらいいなで原作の展開を変えた二次創作もした。

 

ただ自分にはどうしても譲れない部分があって、このキャラ同士の関係が変化するのだけは嫌だ!と思う部分もあった。

 

そんな時だったかもしれない。夢絵、夢漫画の存在を知ったのは。

 

当時のわたしは小説以外の媒体の夢を知らなかったので、やはり興味本位で覗いたのだろう。

 

2フレーム形式のサイト、左に作品のリンクがある。
これを思いだすだけで懐かしい。
そういえば最近夢絵ツイッターでしか見てないや…。

 

クリック。

 


「作者のキャラのここが好きだ!と伝わるようなキャラと夢主の絵」


「幾多の困難を乗り越え絆を深めていくキャラと夢主の漫画(物語もしっかりしてる)」


「仲良く微笑むあうキャラと夢主の絵(容姿も設定もしっかりある)」

 

 

未知の文化の氷山の一角にわたしは思った。

 

 

「えっめっちゃ好き」

 

 

その先からは転げ落ちるように夢というジャンルを楽しむようになった。
夢小説はもちろんだが、主に夢絵、夢漫画を好んだ。
キャラ単体萌え傾向が強めだったので、そのキャラと絡んで欲しい都合の良い設定の夢主も作った。
サイトも作った。

楽しかった。

 

 

 

 

 

・『自己投影嫌いの夢アンチ』が『夢者』になったわけ


そんな長い文でもないのだが、簡単に言えば

 

「自己投影が混じっていても創作して出来上がるものの価値は同じ」


「二次創作はすべて等しい」

 

ということなんだろう。
自己投影=恥ずかしい、気持ち悪いの概念は根深い。
メアリー・スーが批判されるのは上記が関わってくる部分も大きい。
しかし、いかなる創作であったとしても作者の価値感、思考などは作品に投影される。


『二次創作でキャラが辛い食べ物を食べて「辛い」と感じる描写さえ、
 原作になければそれは作者の常識の投影であり自己投影だ』


自己投影の大なり小なりは個人の采配だ。
こればかりは人にどうこう言われたからといって変えるのは難しい。


夢は『自己投影を自覚しているジャンル』なのだ。(所説あります)

 

自己投影=恥ずかしい、気持ち悪いは個人的にこの考えを持つことで解消された。
わたしが夢アンチであった原因は大きくこれだったので、あとは創作スタイルの問題である。
結果、夢の表現がわたしに合っていた。

 

 

 

 

 

・『夢』を恥ずかしい、気持ち悪いと思っている方へ

 

アンチに限らず、夢への知識がなくただぼんやりと思っている人。
夢を創作している、好んでいる中でもこういった考えを持つ方は多い。
周囲からの弾圧であったり、自意識による羞恥心であったりと様々だが、これだけは言わせてもらいたい。

 

『夢』は恥ずかしくない、気持ち悪くない。

 

夢だけでなく、すべての創作も、だ。
たとえヘイト創作と呼ばれる多くから反感を食らうものであっても、それを弾圧し、批難する権利があるのは二次創作において原作者だけだ。

好き嫌いを感じるのは自由だ。
嫌いなものにわたしのようにわざわざ触れて、見解を広げろとは言わない。

好き嫌いを言うのも自由だ。
この創作のこういうところがどうしても苦手、というのはわたしだって言う。

ただ、自ら、創作への可能性を縮めているのは知っておいてほしい。

 

 

 

 


・落ち

今回、夢の定義については曖昧にさせてもらった。
議題に上がっているように自己投影が夢の定義かと言われるとそれは大雑把だろう。
すべての二次創作が当てはまってしまう。

 

いま現在も夢の規模は拡大している。
夢が小説以外の表現がなかった夢小説の原則『名前変換』から逸脱し、解釈が拡大しているのも一因だ。
絵もある、漫画もある、ただこのキャラは私の旦那ですという妄想創作も夢と名乗っている。
夢はそれだけ受け皿が大きく寛容なジャンルだと言えるだろう。
定義を定めて夢の範囲が狭まるくらいなら、いっそこのままで良いと思っている。
夢と名乗りたい人だけが夢と名乗る、それが許される世界であってほしい。

 

二次創作に貴賤はない。

 

 

 

・ちなみに

わたしは夢絵、夢漫画描きでオリキャラ男夢主人公中心の友情傾向の作品をよく描く。
これが困ったことにとても…とても楽しい………。
夢はいいぞ。